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2015年11月21日土曜日

白黒(モノクロ)の美しき世界・・・

白黒の世界・・・ デザインで白黒の世界と言えば 何を連想されますか?前回の写植の世界も印画紙という白いに紙に焼き付けられた黒い文字。その文字をこれまた白黒の世界である版下に張り込んでいく・・・そして出来上がった版下を製版所に持ち込めば、新聞広告原稿のフィルムとゲラ刷りがあがってきます。今はデジタルの時代なので製版の世界も代わりましたね、オンデマンドというプリンター出力がメインの時代。

私がこの業界で最初に飛び込んだのが所謂、版下屋さんでした。烏口(カラスグチ)という道具で毎日のように 版下台紙にトンボというこの範囲が印刷面ですよという線引き作業に明け暮れていました。この烏口も当時では、なくてはならないものの一つでした。

その後、烏口は線引きやイラストのアウトラインを描く専用のロットリングペン(製図用のペンだったかな)に取って代われていくのです。烏口という道具は、感動するくらい美しい線が描ける道具でしたが、定期的な手入れや調整が必要な道具ということで、ロットリングがデザイナーの必須の道具になりました。

若い頃、烏口で1mmの中に何本の線が引けるかなんて挑戦していましたっけ。(笑

みなさんは色んな箱を展開してみた事がありますでしょうか?四方八方に折目が入っていますよね。あれも箱を展開した状態を想定し、版下作業で人の手作業で折目の部分にトンボを入れていってたんです。(文章で説明するのがちょっと難しいです(笑))

その版下に、前回の記事に登場した暗室カメラの中で印画紙に焼き付けられた写植文字を前回の記事に登場した暗室カメラの中で決められた文字の大きさに拡大縮小し、専用の印画紙に焼き付けていき、裏に糊を塗って版下の所定の位置に貼っていく。これが版下という作業です。

印刷物はすべてこの白黒の世界による版下という印刷に入稿するための版作りを行っていました。では、カラー印刷はどうしてたのか?はい、カラー印刷用もこの白黒の版下で作っていました。

カラーの場合は、この版下の上にトレーシングペーパーをかけ、赤ペンでキャッチコピーの部分は、Y.100+M.100。見出しの部分は、C.100+M.70などとトレペに書き込んでいくのです。所謂、色指示ですね。

ちなみにCはシアン(青)、Mはマゼンダ(赤/正確にはピンク)、Yはイエロー(黄色)、Kはブラック(黒)。印刷はこの4版の%の掛け合わせで無限の色が出せるわけです。当然ご存知かと思いますが、あなたが今見ているモニターは R(赤)G(緑)B(青)という光の三原色の世界。

なので光の世界とインクの世界を完全に一致させるのはかなり難しいのですね。おっと、本日は白黒の世界のお話でした。(笑

私は版下の世界からこの世界に入ってきた人間なので白黒の世界の美しさに魅せられた男です。広告デザインでも新聞広告が一番好きですね。ほんとに美しい世界だと思います。

白黒の世界といっても 実際の色がついているのは黒一色です。印刷では基本、白のインクは存在しませんから、白い部分は紙自体の色という事になります。

さて、本日もアナログ時代のお話でしたが、実は昨日言い忘れた事がありました。アナログ時代を経験してきたデザイナーさんは大体、書体(フォント)にうるさい方が多いですね。字間や行間に神経質なまでにこだわる方もいらっしゃいます。

私自信もどちらかというとそっちの部類ですが・・・そいう目線でいまのデジタルフォントを見た場合、書体のデザイン自体がキレイじゃない、完成されていないフォントが多いように感じます。

たられば、言ってもしょうがありませんが、昨日の写研のフォントがデジタル化されていればって思うのは 私だけでしょうか?

それでは、また。

写植ってご存知ですか?

これなくしてアナログ時代の 広告制作はありえなかった。

その1・・・写植

いまや写植を知らない若いデザイナーさんもいるかもしれませんね。知ってるけど実際のところは・・・?って方も。写植を使って広告制作してた最後の世代っていま何歳くらいなんだろ?アナログ時代をあらためて思い返せば、今当たり前のようにMacのモニターの中で 自由にデザインレイアウトできている事がどれほど革新的な事だったのかが理解できます。

写植とは・・写植機というカメラと同じ原理の機械で印画紙に焼き付けられた文字。写植オペレーターによって一文字一文字入力されていきます。キャッチコピー、見出しコピー、ボディ本文コピーなどの原稿をオペレーターさんが見ながら一文字ずつ入力していきます。
入力といっても今のようにキーボードで入力するわけではありません。先ほどのカメラの
原理でなんとなく想像できるでしょうか。

その入力作業風景を見れば、彼らがどれほどの特殊技能者であったか理解できます。また当時の写植屋さんにとって 書体ごとの文字盤を揃える事がどれほどの 投資であったか・・・いまのデジタルフォントどころの話ではないのじゃないかな?詳しく知りたい方は写植関連で検索してみてください。

いま私たちは入力した瞬間にモニター上で確認できますが、当時は、オペレーターさんによって入力された文字は印画紙に現像された状態で私たちデザイナーに納品されるわけです。という事は写植という文字が納品されるまで制作は進行できないということ。現在と比べてこの時間がどれほど大きなものかは想像できるでしょう。

写植は入力できる最大級数、今で言うところのポイント数に限界がありました。よってこの写植を受け取った私たちデザイナーは、ポスターなどのキャッチコピーは、この写植文字を特殊な暗室カメラで拡大縮小しサイズ調整しながらまた印画紙に焼き付ける作業が待っていたのです。

アナログ時代のデザイナーの制作とは決定したデザインをまず版下という印刷入稿するための版作りからはじめる事でした。
写植の級数を決める際に私たちデザイナーが使っていたものが ↓

原稿の文字数を数えながら、透明フィルムに印刷されたこの級数指定表を使って級数、字間(歯送り/カーニング)、行間などを決定していくのです。そうやって指定された指示通りに写植屋さんが入力していく・・・

そういえば、当時の書体(明朝系)にはNKLとOKLという2タイプがあった事を思い出しました!NKLのNはNEWでOKLのOはOLDだったと記憶しています。Oは文字の打ち込みやはらいなど筆文字の雰囲気を意識した作りでNは強調しないモダンな作りの印象だったかな。

いま、私たちデザイナーは写植オペレータの部分までをこなしていると言えるでしょう。結局のところ、Macが普及していった結果、写植屋という職業は消えていってしまうのですが、あのモリサワも元はといえば写植メーカーだったわけで、時代に対応順応してデジタルフォントの開発販売で 生き残ったということです。

当時、モリサワと2大写植機メーカーと言われた 写研という会社がありました。(私個人は写研派でした!)圧倒的に写研の書体が優位にたっていたのですが、デジタルフォントという時代の波に対応しないまま 消えていってしまうのでした。

こうやって見ていくと、書体(フォント)の進化があって私たちデザイナーの仕事も成り立っているのかなと思います。

アナログ時代のお話はこれからも続けていくつもりです。