2015年11月23日月曜日

母と父を想う

みなさん、お疲れ様です。

私も自分に残された時間が見えてきたせいか、最近、両親の事がよく思い出されます。

私の母は、私が24歳の時に肝臓癌でなくなりました。4年前には父も逝ってしまい、 親と呼べる人はおりません。カミサンの両親もこの世にはおりませんのでね。

父の闘病中は有休とりながら、あの時にできる事は全てやったつもりなので、後悔はありませんが、 母だけは、、、後悔というより、心残りが、、、

手術も出来なくて、、、いや手術はやったのですが、お腹開けただけで、閉じてしまいました。もう手遅れという状態。37年前のあの悔しさだけは、記憶の中から消えません。 47歳という若さで逝った母。母の悔しさを思うと時々たまらなくなります。

よく言いますよね、孫の顔だけは見せてやりたかったって、、、私もあの気持ちがよくわかる年齢になりました。今自分が子供を持ち、彼が家庭を築き、家族を持つことを願ってるんですが、、、当の本人は、彼女や結婚などより、 好きなモノ買って好きに自由な時間を過ごすことが一番の望みのようです。

親の心、子知らずです(笑

まっ、本人が幸せなのが一番でしょうから、親の私がいちいち文句言うのも筋違いかなと、、、プー太郎でダラダラと生きてるような人間なら、私も一発カマしますがね。(笑 私も好きなように生きてきた人間なんで、 血は確かに受け継がれてるようです。

父、母、叔父、叔母 全員、息を引取る瞬間に立会いましたが、、、ここで命の大切さが、、、とか言いません。

私が感じたのは、生きてるって凄いってこと。そして人が死んでいく時も凄いってこと。それは人の死目に遭遇した時に初めて実感します。その瞬間、居なくなってしまうことの寂しさなんて考えません。意識はなくとも、一生懸命に最後の力を振り絞って生きてるということ。その光景を目にすると、何というか、、、

ただただ言葉を失います!

父の場合は最後に呼びかけたら、、、 目を開け、私の顔を確認して逝きました。それだけで私には心残りがないのです。自分の人生を生ききった父に拍手しました。

不思議と涙は出ませんでした。そして、父への感謝です。ひとは生まれた瞬間から一つの人格を持った存在です。親の持ち物ではない。父はそういう接し方をしてくれました。父の方からは言葉はかけませんでした。悩みがある時に初めて私から声をかけました。親は全てを分かっているのですよ。私もそういう親になれていると思います。

それが、、、、そういうのが、、、 絆じゃありませんかね。綺麗事で仕込まれた絆など、私は拒否します。感動したがり屋さんも、、、、ごめんなさいです。

こんな私ですが、母に関しては思い出すだけで、涙が流れます。母の悔しかったろうという思いの方が先に立ってしまうのです。大学の夏休み中を、病院の母のベッドの横で簡易ベッドで過ごした日々が 思い出されます。まだまだ若くて綺麗だった母の顔が浮かびますが、その母はこれまで、ただの一度も私の夢の中に出てきてくれません!人に言わせるとあの時全身全霊で面倒みたからだと、、、だとしたら、母は思い残すことなく逝ってくれたのかなとも思うのです。

みなさんも親御さんを大切にしてあげてください。

今日は少しばかり暗い記事になりましたがお許しを!

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